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大阪地方裁判所 平成8年(ワ)1763号 判決 1998年4月30日

主文

一  被告は、原告に対し、金一五一九万七四三一円及びこれに対する平成八年三月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その二を原告の、その余を被告の各負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

被告は、原告に対し、金四一一〇万九二三四円及びこれに対する平成八年三月二二日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、被告の従業員である原告が、被告における加重労働等により腰痛症になったと主張して、被告に対し、安全配慮義務違反(民法四一五条)に基づき、損害賠償の内金を請求している事案である。

一  争いのない事実等(証拠によって認定する場合は証拠を摘示する。)

1 当事者

(一) 被告は、全国各地の旧佐川急便株式会社が合併してできた、主として運輸業を営む株式会社であり、訴外大阪佐川急便株式会社(以下「大阪佐川急便」という。)は、平成四年五月、旧佐川急便株式会社と合併した。

(二) 原告(昭和三一年一月二六日生)は、昭和六一年三月ころ、訴外仁淀運輸株式会社(以下「仁淀運輸」という。)に就職し、トラック運転手として荷物の集荷運搬等の業務に従事した後、昭和六三年三月ころ、大阪佐川急便に就職し、同社大阪店(以下単に「大阪店」ということもある。)において、トラック運転手として荷物の集荷運搬等の業務に従事し、平成元年四月ころからは、同社深江店(以下単に「深江店」という。)において同様の業務に従事したが、その後、同店の構内業務に変更になった。

2 腰痛に関する原告の入通院状況

(一)(1) 原告は、平成二年二月一三日、竹野外科胃腸科で「椎間板ヘルニア・腰椎症」と診断された(《証拠略》)。

(2) 原告は、同月一五日、松下記念病院で「腰痛症」と診断され、同年三月三日まで同病院に通院した(ただし、実通院日数は不明・《証拠略》)。

(3) 原告は、同月一二日から同年七月一一日まで、竹野外科胃腸科に「椎間板ヘルニア・腰椎症」の傷病名で入院した(入院日数一二二日・《証拠略》)。

(4) 原告は、同年八月一三日から同年九月九日まで、大阪回生病院に「右第四、第五腰椎椎間板ヘルニア」の傷病名で入院した(入院日数二八日・《証拠略》)。

(5) 原告は、同年一二月四日、関西医科大学付属病院(脳神経外科)に通院した(《証拠略》)。

(6) 原告は、同月一二日から同月二六日まで、北野病院(整形外科)に「椎性座骨神経痛」の傷病名で通院し(実通院日数二日)、同月二一日、検査のため日本橋病院に通院した(《証拠略》)。

(二)(1) 原告は、平成六年一月一四日、大阪府済生会野江病院で「腰椎椎間板ヘルニア疑」と診断され、同月二七日、同病院で「腰痛」と診断された(《証拠略》)。

(2) 原告は、同月三一日、福徳医学会病院で「腰椎捻挫、股関節捻挫、右足痛」等と診断され、同年七月二一日まで同病院に通院した(ただし、実通院日数不明・《証拠略》)。

(3) 原告は、同月二一日、南労会松浦診療所で「腰部捻挫」等と診断され、平成七年九月まで同病院に通院した(ただし、実通院日数不明・《証拠略》)。

(4) 原告は、同年九月一日から現在まで、田島診療所に「腰部捻挫」等の傷病名で通院している(《証拠略》)。

二  争点

1 被告の安全配慮義務違反に基づく責任の有無等

(原告の主張)

(一) 事実関係

(1) 仁淀運輸は大阪佐川急便の下請会社であるが、原告は、仁淀運輸において、大阪佐川急便の指揮命令の下、午前六時三〇分ころから午後一〇時ころまで、荷物の配達、集荷、運搬、仕分け、積込み、積卸し等の業務に従事した。

(2) 大阪佐川急便に就職した後も、原告は、午前六時三〇分ころから午後一一時ころ、遅いときは午前一時ころまで、荷物の配達、集荷、運搬、仕分け、積込み、積卸し等の業務に従事した。

原告が右業務で取り扱う荷物は一般雑貨であったが、中には重さ約八〇キログラムの荷物もあった。また、トラックへの積込みや積卸し等は全て手作業で行っていたほか、終日休む間もなく連続的に業務を行っていた。

(3) この結果、原告は、昭和六三年一二月ころ、これまで経験したことのないような腰痛を覚え、二日間の欠勤を余儀なくされた。

(4) 平成元年四月ころ、原告は、深江店に異動になったが、同店の業務内容は大阪店よりも過酷であった。

そして、同年一一月ころ、原告は、腰や下肢の痛みを覚えるようになり、同年一二月下旬ころ、右下肢全体の痛みや痺れ等を覚え、歩行や食事もままならない状態となった。原告はただちに上司にこのことを告げたが取り合ってもらえず、当日の業務を続けざるを得なかった。

(5) その後も原告は、痛みに耐えながらも仕事を続けていたが、これを見た上司は、同月末ころ、原告を他の従業員の足手まといだと称し、深江店内の荷受け等を主とした構内業務に変わるよう指示した。

もっとも、この構内業務も重い荷物を手作業で上げ下ろしするという腰に負担のかかる業務であった。

(6) その後も原告は、同月末ころまで腰や股関節の痛みに耐えながら仕事を続けていたが、年末は一年中でもっとも忙しい時期であり、終業時刻も連日午前一時から二時という状態であった。その結果、原告は、症状が増悪し、立ち仕事や歩行さえ苦しい状態となり、平成二年一月八日から欠勤を余儀なくされた。

原告は、同年二月一三日、竹野外科胃腸科で「椎間板ヘルニア・腰痛症」と診断され、同月一五日、松下記念病院で「腰痛症」と診断された。そして、医師の指示により同年三月から竹野外科胃腸科に入院し、さらに同病院の指示により同年八月から同年九月まで大阪回生病院に入院し、その後も主として竹野外科胃腸科に通院したが、症状は一向に改善しなかった。

なお、この間原告は、健康保険の傷病手当金の支給を受けて生計を維持した。

(7) 原告は、平成三年六月二一日、症状がいくらか軽快してきたことや傷病手当金の支給が打ち切られることになったことから、職場に復帰したが、腰痛は完治していなかった。このため、トラック運転手としての業務はできず、深江店内の構内業務に従事せざるを得なかった。

(8) その後、平成五年八月八日、深江店に働く四二名の労働者により佐川急便労働組合が結成され、原告はその委員長に選出された。ところが、被告はその直後から労働組合に加入した労働者に対して執拗に脱退を迫るといった組合つぶし攻撃を開始した。その結果、同年九月には、右組合に残った労働者は原告一人という状態となった。

なお、被告のこの不当な組合つぶし攻撃について、大阪府地方労働委員会は明白な不当労働行為であると認定し、平成六年六月七日に救済命令を発している。

このような状況下で原告は腰痛に苦しみながら構内業務に従事していたが、被告はあくまで労働組合の根絶を画策し、一層原告に過酷な労働を強い、また終始原告を監視する等の嫌がらせを続けた。

(9) 原告は、平成五年一一月二二日、構内業務に従事中、重量約四五キログラムの鉄の金型を持ち運んだ際、再び腰、右股関節及び右下肢に激痛が走った。原告はただちに上司にこのことを告げたが、午後六時の業務終了時刻まで休憩を禁じられた上、午後六時になっても入金業務の終了まで退社を許されなかった。

(10) 原告は、同月二四日、竹野外科胃腸科を受診したところ、「腰痛症」と診断され、以後同月三〇日まで欠勤を余儀なくされた。

その後腰痛症が若干軽減したため、原告は同年一二月一日から出勤しはじめたが、腰の具合が芳しくなく、同月六日ころ、再度治療のため休業したいと申し出た。しかし、上司は、治療したいなら退職してからにせよと述べ、休業治療を認めなかった。

このため、原告は勤務を続けざるを得なかったが、平成六年一月一一日、とうとう腰痛のため休業を余儀なくされた。

原告は、同月一四日、大阪府済生会野江病院を受診したところ、休業治療の必要があると診断され、以後、平成八年九月二一日に職場に復帰するまで休業して治療を受けた。

そして、現在も田島診療所に通院して腰痛症の治療を受けている。

(11) なお、原告の腰痛は、平成六年三月、大阪中央労働基準監督署により労災認定を受けている。

(二) 被告の責任について

(1) 使用者は、労働者に対し、労働契約上の本質的義務として、その生命及び健康を保護するため、就労場所、就労施設もしくは器具等の設備その他の条件を整える等万全の防止措置をとるべき義務(安全配慮義務)を負っているところ、被告は、労働者を重量物の取扱いや車両運転業務に就かせるにあたっては、これらの業務により腰痛の発症する例が比較的多いのであるから、その予防のため次のような措置を講じる義務があった。

<1> 腰部に著しい負担のかかる作業を行わせる場合には、できるだけ作業の自動化・省力化を図り、少なくとも適切な補助器具等を導入すること

<2> 作業姿勢や動作について、腰痛防止に必要な作業環境を整え、指導・注意すること

<3> 腰部に過度の負担ががかる作業については、作業内容、取り扱う重量、自動化等の状況、補助機器の有無、労働者の数・性別・体力・年齢・経験等に配慮して作業時間や作業量を設定するとともに、その作業方法・使用機器等を示して作業標準を策定し、休憩設備の設置等を行うこと

<4> 作業場の温度・作業空間その他の作業環境を整えること

<5> 当該作業への配置(再配置)の際及びその後六か月以内ごとに定期に医師による腰痛の健康診断を行わせるほか、診断の結果健康保持のため必要と認めるときは、作業方法等の改善、作業時間の短縮等必要な措置を講じ、また作業前体操及び腰痛予防体操等を行うよう指導し、健康管理に努めること

(2) ところが、被告は、右に指摘したような腰痛予防のための措置をほとんど講じることなく、原告に対し、前述した極めて作業密度が高く、かつ長時間にわたる車両運転や重量物の取扱業務等を行わせた。被告における長時間労働は誠に過酷であり、特に繁忙期と呼ばれる三月末から四月初旬、ゴールデンウイーク前の四月下旬、お盆前の八月初旬及び一二月は、原告ら労働者は毎朝六時三〇分ころ出社し、業務が終わるのは翌日の午前一時から二時であった。休日は原則として週一回あったが、それ以外は連日右のような勤務を強いられていた。また、繁忙期でない時期についても、原告らの労働時間は午後一一時ころまでが通常であった。そして、原告が腰痛を訴えても、被告はほとんど何らの対策も取ろうとせず放置した。被告が平成元年一二月末に原告を深江店内の構内業務に変更したのも他の従業員の足手まといだというものにすぎなかった。

このような被告の安全配慮義務違反の結果、原告は、昭和六三年一二月、平成元年一二月及び平成五年一一月の三回にわたり激しい腰痛症を発症し、長期間の休業・療養を余儀なくされたのである。

したがって、被告は、原告に対し、安全配慮義務違反に基づく責任を負う。

(被告の主張)

(一) 仁淀運輸は大阪佐川急便の下請会社ではなかったし、大阪佐川急便が仁淀運輸の従業員を指揮命令していたこともなかった。

なお、仁淀運輸における就業時間は午前八時から午後九時までであった。

(二) 大阪佐川急便における就業時間は午前七時ころから午後九時ころまでであったし、また、業務で取り扱う荷物の中に重さ八〇キログラムのものはなかった。

(三) 原告が昭和六三年一二月ころ腰痛により二日間欠勤したことは知らない。なお、当時、原告から腰痛を聞いた上司及び同僚はいない。

(四) 深江店の業務が大阪店よりも過酷であったとの事実は否認する。原告は、深江店に異動になったことで業務地域への所要時間が短縮され、従前よりも休憩時間を確保することが容易となった。

また、原告が平成元年一二月下旬ころ、上司に対し、股関節以下の右下肢全体の痛みや痺れがあることを告げだ事実はない。

(五) 深江店の構内業務が腰に負担のかかる業務であるとの原告の主張は否認する。構内業務は荷物の仕分けを中心とする業務であって、仕分けの対象となる荷物が構内に到着するまでは待機しているだけであるから、腰に負担はかからない。

(六) 原告は、平成八年一一月七日、ハーフマラソンを完走したほか、トライアスロンレース等に挑戦する等しており、このような事情に照らしてみても原告に腰痛があったとは考えられない。

(七) 原告は、被告の業務によって腰痛になったと主張するが、腰痛とは単なる症状に過ぎず、その原因が特定できない以上、原告の腰痛が業務に起因するか否かは不明である。すなわち、腰痛という症状が発生した場合、その腰痛が業務に起因するといえるためには、腰痛の原因となる疾病、例えば腰椎椎間板ヘルニア、変形性脊椎症、腰椎分離症、腰椎すべり症といった疾病を特定し、その疾病が業務に起因して発生したことを立証する必要がある。ところが、原告は、腰痛の原因たる疾病について明確にしていないから、原告の主張する腰痛が被告の業務に起因して発症したかどうかは不明であるといわざるを得ない。

なお、原告は、原告の腰痛は腰痛症という疾病であると主張しているように思われるが、仮に腰痛症というのであれば、これは就労に影響を与える疾病ではなかったといわざるを得ない。なぜなら、原告は、平成八年八月二三日付診断書により、「症状改善により、従前の勤務に就くことが可能となった」と診断されているが、右診断書によれば、症状が改善したとする原告の傷病名は「腰部捻挫」等とされており、腰痛症とはされていないから、原告には腰痛症は存在しなかったか、仮に存在したとしてもそれは就労に影響を与える疾病とはいえなかったと思われるからである。

(八) 被告は、腰痛予防対策として毎朝腰痛予防等を目的とするラジオ体操を行っていたほか、エアロビクスインストラクターによる腰痛予防指導及びそのビデオ視聴を行っていた。また、原告が深江店に勤務するようになったころには、すでに押圧効果マッサージ治療やローラーによる牽引治療、マイクロ波による温熱治療ができる腰痛予防ベッド(電気牽引装置付き)を設置して自由に使用できるようにしていたし、軽い運動のために卓球台を置いており、卓球台が置かれた部屋にはエアコンを完備し、昼食時間等の休憩時間において運動することも可能であった。なお、現在では、さらにマッサージ機、ボートこぎ機、ぶら下がり健康機、ベンチプレス、固定式自転車等を設置している。

このように被告は、様々な腰痛予防対策を講じていたものであるが、仮に原告が平成元年ころ腰痛になったとしても、右腰痛が被告のいかなる業務によって生じたかは明らかでないから、被告が具体的にいかなる安全配慮義務を尽くせば右腰痛の発症を防止しえたかはなお不明といわざるを得ない。

また、仮に原告が平成五年一一月二二日重量物を持ち運んだ際に腰痛になったとしても、右腰痛は被告の安全配慮義務違反によって生じたものとはいえない。すなわち、原告は、重量約四五キログラムの荷物を持ち運んだ際に腰痛になったというが、荷物の持ち運び自体は何ら危険な作業ではないし、荷物が重量であれば周囲の者に手伝ってもらえばすむところ、原告は漫然と一人で荷物を持ち上げて腰痛になったのであるから、平成五年一一月の腰痛は原告の自己責任というべきである。

また、仮に平成五年一一月二二日の腰痛について被告に安全配慮義務違反があったとしても前述した原告の自己責任を考慮し、相当程度の過失相殺がされるべきである。

2 損害

(原告の主張)

(一) 逸失利益(合計二七一四万五六二七円)

(1) 平成二年一月八日から平成三年六月二〇日までの間の逸失利益(五八一万九〇四九円)

原告の平成元年一一月、同年一二月及び平成二年一月の平均収入は日額二万五一四八円であったところ、原告は、右期間のうち合計五〇八日休業を余儀なくされた。

もっとも、原告は、右期間中、被告から合計一四二万二六三九円の賃金等を支給されたほか、健康保険組合から傷病手当金五五三万三四九六円を支給されたから、これを控除する。

二万五一四八円×五〇八-一四二万二六三九円-五五三万三四九六円=五八一万九〇四九円

(2) 平成三年六月二一日から平成六年一月一〇日までの間の逸失利益(六九一万〇五八五円)

原告は、右期間中、構内業務に従事したが、原告の平成三年七月ないし九月の平均収入は日額一万七七五七円であった。

ところで、原告が構内業務に従事せざるを得なくなったのは被告の安全配慮義務違反の結果であり、仮に被告が安全配慮義務を怠っていなければ、原告は従前どおり日額二万五一四八円の収入を取得できたはずである。

したがって、右期間の原告の逸失利益は、右日額を基礎として算定すべきである。

(二万五一四八円-一万七七五七円)×九三五=六九一万〇五八五円

(3) 平成六年一月一一日から平成八年九月二〇日までの間の逸失利益(一四四一万五九九三円)

原告は、右期間中、休業を余儀なくされたが、右期間の原告の逸失利益も日額二万五ー四八円を基礎として算定すべきである。

もっとも、原告は、右期間中、労働者災害補償保険から日額一万七四九六円の六割の休業補償給付金の支給を受けたから、これを控除する。

(二万五一四八円-一万七四九六円×〇・六)×九八四=一四四一万五九九三円

なお、休業特別支給金は損害のてん補の性質を有しないから、損益相殺の対象とならない。

(二) 慰謝料(一〇〇〇万円)

原告は、被告(大阪佐川急便の下請会社である仁淀運輸を含む)の下で長年にわたって過酷な労働を強いられ、その結果、繰り返し腰痛を発症し、長期間の休業を余儀なくされた。また、原告は、被告の厳しい労働条件を改善しようと労働組合を結成したが、被告は、不当な組合つぶし攻撃を加えたほか、原告を職場に入れさせないことをもくろみ、原告が平成六年一月以降休業した際も原告の職場復帰を引き延ばそうとした。このため、原告は、もはや職場に復帰することはできないのではとの危惧感に悩まされ続けた。

原告は、被告と全港湾労働組合との交渉の末、ようやく平成八年九月二一日に職場に復帰することができたが、被告で仕事を続けていく以上、今後も治療が必要であり、また、重労働に就かされれば再度休業を余儀なくされる状態にある。

このような原告が被った著しい肉体的・精神的苦痛その他の事情を考慮すれば、原告に対する慰謝料は一〇〇〇万円を下らないというべきである。

(三) 弁護士費用(四〇〇万円)

本件は、被告の業務と原告の腰痛症との因果関係、その他事実上・法律上困難な問題を含む安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求事件であって、その訴訟遂行にあたっては弁護士の利用は心要不可欠である。また、本件における被告の安全配慮義務違反の事実は、契約法における違法性の程度を越え、不法行為とも評価されるほど悪質なものである。

以上のような本件事案の内容、性格その他の事情に鑑みれば、弁護士費用が損害として認められるべきは当然である。

なお、最高裁判例(最高裁昭和四五年(オ)第八五一号・昭和四八年一〇月一一日第一小法廷判決)は、金銭債務不履行による損害賠償の範囲は民法四一九条により画一的に決定されるという理由で弁護士費用の賠償を否定しているが、その射程距離は限定的に解釈されるべきであり、本件のような事案には適用されないと解すべきである。

(四) よって、原告は、被告に対し、安全配慮義務違反(民法四一五条)に基づき、右損害合計額四一一四万五六二七円の内金である四一一〇万九二三四円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成八年三月二二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告の主張)

(一)(1) 平成二年一月八日から平成三年六月二〇日までの間の逸失利益について

原告の平成元年一一月、同年一二月及び平成二年一月の平均収入が日額二万五一四八円であったこと、原告が平成二年一月八日から平成三年六月二〇日までに合計五〇八日休業したことは認める。

もっとも、次の理由から原告に右期間の休業損害は生じない。すなわち、右期間中の原告の業務は構内業務であったところ、構内業務の賃金は、基本給一七万円、職務給一〇万三〇〇〇円、奨励金(皆勤手当)三万円、特別手当九万八〇〇〇円の合計四〇万一〇〇〇円であったから、右期間中の原告の逸失利益は、約一七か月間で六八一万七〇〇〇円となる。ところが、原告は、被告から合計一四二万二六三九円の賃金等を支給されたほか、健康保険組合から傷病手当金五五三万三四九六円を支給されたから、これを控除すると右期間中の逸失利益は全額てん補されていることになる。

(2) 平成三年六月二一日から平成六年一月一〇日までの間の逸失利益について

原告の平成三年七月ないし九月の平均収入が日額一万七七五七円であったことは認める。

もっとも、右期間中、原告は、構内業務に従事し、相応の給料を取得していたのであるから逸失利益が発生する余地はない。

(3) 平成六年一月一一日から平成八年九月二〇日までの間の逸失利益について

原告が平成六年一月一四日から平成八年九月二〇日までの間休業したこと、右期間中、労働者災害補償保険から日額一万七四九六円の六割の休業補償給付金の支給を受けたことは認める。

もっとも、原告に右期間中の逸失利益が認められるとしても、それは前述の月額四〇万一〇〇〇円を基礎とした上、特別支給金も控除して算定されるべきである。

(二) 慰謝料について

基本的に原告に逸失利益が認められないことは前記のとおりであるから、これに対応する原告の精神的損害は発生しない。また、精神的損害は特別損害であるから当事者に予見可能性が必要となるところ、裁判にならない限り慰謝料は判明しないのであるから、慰謝料について予見可能性は存在しない。

(三) 弁護士費用について

本件は、安全配慮義務違反すなわち債務不履行に基づく損害賠償請求訴訟であるから、弁護士費用が損害として請求できないことは判例上明らかである。

第三  争点に対する判断

一  争点1(被告の安全配慮義務違反に基づく責任の有無等)について

1(一) 前記争いのない事実等に《証拠略》を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 原告(昭和三一年一月二六日生)は、昭和四六年三月、中学を卒業後、鉄工所や運送会社等に勤務したが、新聞の募集広告を見て大阪佐川急便に就職しようと思い、昭和六一年二月、同社の面接を受けたものの、三〇歳以上の者は採用しないといわれて就職を断られた。しかし、仁淀運輸であれば三〇歳以上の者でも採用できるといわれ、そのまま仁淀運輸の事務所に連れて行かれて面接を受け、同社に就職することになった。

(2) 仁淀運輸の事務所は大阪佐川急便大阪店(東大阪市東鴻池)と同じ敷地内にあり、原告が仁淀運輸に出社するといっても、それは大阪佐川急便大阪店に出社するのと変わりがなかった。

原告は、午前六時ころ大阪店に出勤し、担当トラックに積み込まれた荷物を確認した後、午前七時ころ大阪店を出発し、配達先であるカタログ販売会社の倉庫(大阪市城東区今福西)に荷物を配達し、配達先から荷物を受け取って大阪店に戻るという業務を一日平均五回ほど繰り返し行っていた。そして、午後五時ころに右業務が終了すると、今度は大阪佐川急便大阪店の城東ドッキングセンター(大阪市城東区放出西)に赴き、大阪佐川急便大阪店営業三課所属のトラックが集荷した荷物の仕分け作業を行い、その後、発送センターへ荷物を運んでから仁淀運輸の事務所に戻るという業務内容であった。そして、仁淀運輸の事務所に戻る時間は大抵午後一〇時ころであり、年末等の繁忙期には午前零時を過ぎることもあった。

なお、仁淀運輸の業務と大阪佐川急便大阪店の業務は渾然一体としており、原告は大阪佐川急便の従業員の指示を受けて作業を行い、同社の社名の入った給料袋で給料を受け取っていた。また、仁淀運輸は佐川急便仁淀店と呼ばれていたほか、仁淀運輸では大阪佐川急便を本隊と呼んでおり、原告は仁淀運輸の上司から「頑張れば本隊への登用もある」等といわれていた。

(3) 原告は、昭和六三年三月ころ、大阪佐川急便の管理職から「本隊に上がらないか」等と誘われて同社に就職することになり、同社大阪店の南城東班所属となった。

原告は、午前六時ころ大阪店に出勤し、担当トラックに積み込まれた荷物の確認や荷物の積込みをした後、午前九時ころ大阪店を出発し、担当区域である大阪市城東区鴫野西の配達及び集荷を行っていた。さらに原告は、無線で指示された場所に赴いて四トントラックから荷物を受け取り、これをさらに配達していた。また、当日配達の荷物(本着便)あるいは翌日遠方配達の荷物(Z便)を四トントラックが待っている場所(ドッキング場)に届け、再び四トントラックから荷物を受け取って配達する等、一日中、配達及び集荷作業を行っていた。そして、午後一〇時ころ大阪店に戻った後も、荷物の積卸しや仕分け作業等を行っていたため、全ての業務が終了するのは午後一一時ころであり、午前零時を過ぎることも珍しくなかった。

(4) 大阪店において原告が業務で取り扱う荷物は主として一般雑貨であったが、中には重さ約八〇キログラムの荷物もあった。また、トラックへの積込み及び積卸しは全て手作業で行っていたほか、台車等が使用できない場所では配達及び集荷も手作業にならざるを得なかった。

(5) このような業務を継続していたところ、原告は、昭和六三年一二月ころ、初めて腰痛を感じるようになった。

(6) 平成元年四月ころ、原告は深江店に異動となったが、そこでも大阪店とほぼ同様の業務に従事した。

(7) 原告は、平成元年一一月ころ、荷物の積込み作業中に腰痛を感じたが、繁忙期のため病院には行かなかった。

そして、同年一二月下旬ころ、原告は、トラックから降りた際に右股関節に激しい痛みを感じ、午前中の業務こそ続けることができたものの、昼過ぎころには痛みや痺れが強くなり、トラックの運転席でうずくまってしまった。これを見た同僚がただちに岩見主任にこのことを告げたが、岩見主任は頑張って仕事を続けるよう述べた。

原告は、その後も同僚に手伝ってもらいながらトラック運転手としての業務を続けていたが、他の従業員に迷惑がかかるという理由で、深江店構内で荷物の受付や仕分け等の構内業務に従事することになった。

(8) 原告は、平成二年になっても症状が軽快しなかったことから、同年二月一三日、竹野外科胃腸科を受診し、腰痛、右下肢痛を訴えたところ、「椎間板ヘルニア・腰椎症」と診断された。

以後、原告は、休業して治療に専念することとし、松下記念病院、竹野外科胃腸科、大阪回生病院、関西医科大学付属病院(脳神経外科)、北野病院(整形外科)に入院あるいは通院して治療を受けたところ、症状は軽快したが完治するには至らなかった。

(9) 原告は、平成三年五月下旬ころ、上司から職場に復帰するよう求められたことから、同年六月二一日、職場に復帰し、再度、深江店構内で荷物の受付や仕分け等の構内業務に従事することになったが、右業務もトラック運転手としての業務ほどではなかったものの腰に負担のかかる業務であった。

(10) その後、被告における長時間労働が社会問題となり、労働省や運輸省から被告に対して改善指示等が出される中、平成五年八月八日、深江店に働く四二名の労働者により佐川急便労働組合が結成され、原告はその委員長に選出された。すると、被告は労働者に対して労働組合からの脱退を図り、その結果、右組合に残った労働者は原告一人という状態となった。さらに、被告は、原告に対し、従来二人で行ってきた荷受け作業を一人で行うよう命じたり、あるいは通常は派遣会社の従業員が行う「引き師」と呼ばれる作業(ベルトコンベアー上を流れる荷物を引き抜いて各配送先に仕分けする作業)を行うよう命じたりする等の行為にでた。

(11) 原告は、平成五年一一月二二日午後五時ころ、深江店で荷受け作業(客が直接店に持ち込む荷物を受け付けたり、直接引き取りにくる荷物を引き渡したりする作業)を行っていた際、重量約四五キログラムの鉄の金型を持ち込まれ、これを計量器に乗せるため両手で持ち上げて運んでいたところ、腰や右足に激痛を感じた。原告は、内海主任に帰宅したいと申し出たが、午後六時の業務終了時刻までは業務を続けるよう指示された上、午後六時になっても入金業務が終了するまでは帰宅を許されなかった。

(12) 原告は、その後も腰痛等のだめ出欠勤を繰り返していたが、平成六年一月一〇日、とうとう休業を余儀なくされ、同月一四日、大阪府済生会野江病院を受診したところ、「腰椎椎間板ヘルニア疑」「今後、少なくとも二週間安静加療を要する見込み」と診断され、また、同月二七日、同病院において、「腰痛」「今後二週間の安静期間を要する」と診断された。

そして、同月三一日、福徳医学会病院を受診したところ、「腰椎捻挫、股関節捻挫、右足痛」等と診断され、以後、同年七月二一日まで同病院に通院した。なお、同病院で実施された腰部MRI検査では第五腰椎、第一仙椎椎間板損傷が認められた。

原告は、同月二一日、南労会松浦診療所を受診し、「腰部捻挫」等の傷病名で同年九月まで通院し、同年九月一日からは主治医の田島隆興医師(以下「田島医師」という。)が開業した田島診療所に転院した。

なお、田島医師は、平成六年一二月ころには、原告は軽作業であれば就業可能と診断していたが、被告は、被告の業務に軽作業はないとして原告の職場復帰を拒絶した。しかし、平成八年八月二三日、田島医師は、原告について、従前の勤務に就くことが可能と診断したため(ただし、田島医師は、原告は、時間外労働は不可で今後も週一回の通院加療を要すると診断した。)、被告も原告を受け入れることとし、同年九月二一日、原告は、職場に復帰した。

(二) これに対し、被告は、右認定事実に反する主張をし、これに沿う関係証拠もあるが、右関係証拠は、原告本人の供述等に照らして採用できず、右主張は認められない。

なお、《証拠略》によれば、原告は、南労会松浦診療所に通院していたころから、ハーフマラソンやトライアスロンレース等に参加していたことが認められるが、これは腰痛治療の一環としてなされたものであるから、原告に腰痛があったとする右認定を妨げるものではない。

2(一)(1) 以上の事実を総合すれば、原告は、実質的には大阪佐川急便の指揮命令下にあったといえる仁淀運輸及び大阪佐川急便において、連日長時間にわたって荷物の配達、運搬、集荷、仕分け、積込み、積卸し等といった腰に負担のかかる業務を継続した結果、腰痛を発症し、その後も適切な治療を受けることができないまま業務を続けたために腰痛が悪化し、平成二年には休業のやむなきに至り、約一年余りにわたって治療を受けたものの、症状に改善は見られたが完治するには至らず、そのまま再び荷物の取扱いを中心とした構内業務に従事する等した結果、約四五キログラムの荷物を持ち運んだ際に再度腰痛が悪化し、再び休業治療のやむなきに至ったものと認められる。

(2) これに対し、被告は、原告の腰痛の原因が特定できていないとして業務起因性を否定するが、前記認定の原告の業務の内容、入通院状況等に照らせば、原告の腰痛が被告の業務によって生じたことは明らかであるから、被告の主張は採用できない。

(二)(1) ところで、使用者は、信義則上、労働契約に付随する義務として、労働者に対し、業務の執行にあたり、その生命及び健康に危険を生じないように具体的状況に応じて配慮すべきいわゆる安全配慮義務を負っているものと解するのが相当である。

そして、《証拠略》によれば、労働省は、昭和四五年七月一〇日付け基発第五〇三号をもって「重量物取扱い作業における腰痛の予防について」と題する通達を出し、これによれば、人力を用いて重量物を直接取り扱う作業における腰痛予防のため、使用者は、<1>満一八歳以上の男子労働者が人力のみにより取り扱う重量は五五キログラム以下になるよう努め、また、五五キログラムをこえる重量物を取り扱う場合には二人以上で行うよう務め、そしてこの場合各々の労働者に重量が均一にかかるようにすること、<2>取り扱う物の重量、取扱いの頻度、運搬距離、運搬速度等作業の実態に応じ、休息または他の軽作業と組み合せる等して、重量物取扱い時間を適正にするとともに、単位時間内における取扱い量を労働者の過度の負担とならないよう適切に定めること、<3>常時、重量物取扱い作業に従事する労働者については、当該作業に配置する前及び六か月ごとに一回、(1)問診(腰痛に関する病歴、経過)、(2)姿勢異常、代償性の変形、骨損傷に伴う変形、圧痛点等の有無の検査、(3)体重、握力、背筋力及び肺活量の測定、(4)運動機能検査(クラウス・ウエバー氏テスト、ステップテストその他)、(5)腰椎エックス線検査について、健康診断を行い(ただし、(5)の検査については当該作業に配置する前及びその三年以内ごとに一回実施すれば足りる。)、この結果、医師が適当でないと認める者については、重量物取扱い作業に就かせないか、当該作業の時間を短縮する等、健康保持のための適切な措置を講じること、とされていることが認められるところ、右通達は、使用者の労働者に対する安全配慮義務の内容を定める基準になると解するのが相当である(なお、右通達は、平成六年九月六日付け基発第五四七号の通達をもって廃止されたが、使用者が講じるべき腰痛予防対策の内容は、同通達によりさらに詳細かつ具体化している。)。

(2) これを本件についてみると、被告(大阪佐川急便)は、五五キログラム以上の重量物、ときには約八〇キログラムに及ぶ重量物を一人の従業員に取り扱わせていた上、社会問題にまで発展するほどの長時間労働を従業員に強いていたものであって、さらに腰痛予防を目的とした健康診断も実施していなかったのであるから、被告に安全配慮義務違反があったことは明らかである。

そして、前記認定事実によれば、被告が前述した安全配慮義務を尽くしていれば、原告が腰痛を発症し、あるいはこれを増悪させ、その結果、長期間にわたって休業治療のやむなきに至ることはなかったこともまた明らかである。

したがって、被告は原告に対し、安全配慮義務違反に基づく責任を負う。

3 これに対し、被告は、腰痛予防対策として毎朝ラジオ体操を行っていたほか、エアロビクスインストラクターによる腰痛予防指導等を行っており、さらに腰痛予防ベッド等の器具を置いていたから、被告は安全配慮義務を尽くしていた旨主張するが、仮に被告の主張するとおりのことが行われていたとしても、それだけで被告が安全配慮義務を尽くしていたとは到底いえないから、被告の右主張は前記判断を左右するものではない。

また、被告は、平成五年一一月二二日に原告が腰痛になったのは、原告が周囲の者に手伝ってもらわなかったことが原因であるとして被告の安全配慮義務違反を否定するとともに過失相殺を主張する。

しかしながら、被告が前述した安全配慮義務を尽くしていれば、そもそも原告が腰痛を発症し、あるいはこれを増悪させることもなかったのであり、そうであれば、原告が平成五年一一月二二日に約四五キログラムの重量物を運んだだけで腰痛になることもなかったと容易に推認されるから、右作業によって生じた腰痛も、前述した被告の安全配慮義務違反と相当因果関係があることは明らかである。そして、原告が運んだのは約四五キログラムの荷物であり、前記通達によっても一人で持ち運ぶことが予定されている重量物であったから、当時の原告の腰の状態を考慮しても、右程度の重量物を一人で運んだこと自体を過失と評価することはできないというべきである。したがって、この点に関する被告の主張もまた理由がない。

二  争点2(損害)について(各損害項目下括弧内は原告主張の損害額であり、計算額については円未満を切り捨てる。)

1 逸失利益(合計二七一四万五六二七円) 九七九万七四三一円

原告の平成元年一一月、一二月及び平成二年一月の平均収入が日額二万五一四八円であったことは当事者間に争いがないところ、原告は、原告の逸失利益は右収入を基礎として算定すべきであると主張するのに対し、被告は、右収入よりも低額の構内業務における原告の平均収入を基礎と算定すべきであると主張する。

ところで、右平均収入は、被告が安全配慮義務に違反する過重労働を原告に強いていたときの収入であるところ、仮に被告が前述した安全配慮義務を尽くしていれば、原告が右程度の収入を得ることはできなかったと推認される。そうすると、これを基礎として原告の逸失利益を算定することは相当でないというべきである。

そこで、原告の逸失利益を算定するにあたっては、被告の業務の内容、原告の年齢等本件に顕れた一切の事情を考慮し、日額一万八〇〇〇円を基礎とするのが相当である(なお、被告は、月額四〇万一〇〇〇円を基礎として算定すべきである旨主張するが、右収入は、原告が腰痛のため労働能力が低下していた平成五年当時の月額であるから、到底採用することができない。)。

(一) 平成二年一月八日から平成三年六月二〇日までの間の逸失利益(五八一万九〇四九円) 二一八万七八六五円

原告が平成二年一月八日から平成三年六月二〇日までに合計五〇八日休業したことは争いがなく、また、右期間に原告が被告から合計一四二万二六三九円の賃金等を支給されたこと、健康保険組合から傷病手当金五五三万三四九六円を支給されたことも争いがない。

したがって、右期間の原告の逸失利益は、次のとおりとなる。

一万八〇〇〇円×五〇八-一四二万二六三九円-五五三万三四九六円=二一八万七八六五円

(二) 平成三年六月二一日から平成六年一月一〇日までの間の逸失利益(六九一万〇五八五円) 二二万七二〇五円

原告が右期間中、構内業務に従事し、日額一万七七五七円の給与を取得していたことは争いがないところ、前記の日額一万八〇〇〇円を基礎として原告の逸失利益を算定すると次のとおりとなる。

(一万八〇〇〇円-一万七七五七円)×九三五=二二万七二〇五円

(三) 平成六年一月一一日から平成八年九月二〇日までの間の逸失利益(一四四一万五九九三円)

前記認定事実によれば、原告は、右期間中、休業を余儀なくされたものと認められるところ(原告は、職場に復帰するより前に田島医師により軽作業であれば就業可能と診断されているが、職場復帰を拒絶したのは被告であったことに鑑みれば、被告が職場復帰を認めるに至った平成八年九月二一日の前日まで休業を余儀なくされたと認めるのが相当である。)、この間、労働者災害補償保険から日額一万七四九六円の六割の休業補償給付金の支給を受けたことは争いがない。

したがって、右期間の原告の逸失利益は次のとおりとなる。

(一万八〇〇〇円-一万七四九六円×〇・六)×九八四=七三八万二三六一円

なお、被告は、休業特別支給金も損害のてん補として考慮されるべきである旨主張するが、右支給金の支給は労働福祉事業の一環として行われるものであり、被災者の損害をてん補する性質を有しないと解されるから(最高裁平成六年(オ)第九九二号・平成八年二月二三日第二小法廷判決・民集五〇巻二号二四九頁)、損益相殺の対象とならないというべきである。よって、被告の右主張は採用できない。

2 慰謝料(一〇〇〇万円) 四〇〇万円

前記認定の原告の症状の内容、程度、入通院状況、治療状況等、その他本件に顕れた一切の事情を総合すると、本件において原告が被った肉体的及び精神的苦痛を慰謝するには四〇〇万円が相当である。

なお、慰謝料に関する被告の主張は到底採用できない。

3 弁護士費用(四〇〇万円) 一四〇万円

金銭債務の不履行を理由とする損害賠償請求事件訴訟を提起するために要した弁護士費用は、一般的には、右債務の不履行による損害に含まれないと解されているが、少なくとも当該債務が債権者の生命又は身体を保護することを目的とする場合には、右債務の不履行に基づく損害賠償請求については、不法行為に基づく損害賠償請求と同時に扱うのが相当である。したがって、安全配慮義務の不履行を理由とする本件損害賠償請求訴訟においては弁護士費用も請求することができると解する。

そして、本件に顕れた一切の事情を斟酌すると、弁護士費用は一四〇万円を相当と認める。

三  以上によれば、原告の請求は、一五一九万七四三一円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成八年三月二二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

(裁判長裁判官 松本信弘 裁判官 石原寿記 裁判官 村主隆行)

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